東北大学保健管理センターの歩み

東北大学保健管理センターの沿革

保健管理センターの沿革をご紹介します。

東北大学保健管理センター
所長・教授  木内 喜孝

第一章 沿革 学生診療所から保健管理センターまで

 本センターの歴史のスタートは明確でないが昭和2年には週3日で学生の診療にあたっていたという(評議員会議事録)。昭和4年1月には片平地区の学生課に「大学健康相談部」が医学部より医師1名、看護婦1名の派遣のもとに開設された(河北新報、昭和4年1月4日)。その後、昭和5年9月に学生診療所として本格的に診療所としての形態をとるようになり、内科、外科の2診療科が設けられた。昭和7年4月からは歯科も併置され、薬局も置かれた。学生診療所として利用された建物は北門近くに所在する木造平屋の建物である。これは明治20年に開設された第二高等中学校医学部以来、第2高等学校医学部(明治37年改称)、仙台医学専門学校(明治34年、第二高等学校より分離)を経て、東北帝国大学医学専門部(明治45年仙台医専、東北帝大に包摂)として大正4年6月に北4番丁に移転するまで、本学に於ける医学部門の前身校が生まれ育った記念すべき建物群の一部である。

東北大学医学部附属病院中央検査部川村 武講師(現県立宮城大学教授)による、保健管理センター年報 昭和61年度 表紙カットを掲載しています

平成5年度まで学生診療所から保健管理センターに至るまで学生に対する健康相談の本拠地として使用していた建物。カットは東北大学医学部附属病院中央検査部 川村 武 講師(現県立宮城大学教授)による(保健管理センター年報 昭和61年度 表紙より転載)

昭和61年当時の保健管理センター片平本部の写真を掲載しています

昭和61年当時の保健管理センター片平本部
 学生診療所は昭和12年11月には学生保健診療所に改称され、次いで昭和37年には学生健康相談所と改称された。昭和39年4月には川内地区に分室が設置された(東北大学保健管理資料による。昭和44年1月 東北大学学生部 発行)。昭和44年7月、国立学校設置法施行規則にもとづき、東北大学保健管理センターとして機構が充実整備され、新たなスタートをきった。この間昭和44年には青葉山地区の工学部保健室と雨宮地区の農学部保健室が開設され、翌年には星陵地区に医学部・歯学部保健室が新設された。平成6年には川内の北キャンパスに鉄筋コンクリート2階建てのセンターが新築(建坪686m2)され、センター本体が片平地区から川内地区に移転した。それに伴い川内地区分室と工学部保健室が廃止され、片平地区保健室が新設された。
 現在、川内のセンターを本拠として、星陵、雨宮、片平地区にそれぞれ保健室を配置して業務が遂行されている。

平成14年4月の保健管理センター(川内北キャンパス)の写真を掲載

平成14年4月の保健管理センター(川内北キャンパス)

第2章 本センターの組織と業務

 本学保健管理センターは国立学校設置法施行規則(昭和39年4月1日文部省令第11号)第29条の3にもとづき、本学学生の健康の保持増進を図ることを目的とし、保健計画の立案、定期健康診断、臨時の健康診断、随時の健康相談と診療、精神衛生や環境衛生に関する指導など保健に関する業務全般を担当し、同時にこれらに関する教育・研究の推進を主要な目的とし、全学共通施設として設置された。
 本センターの重要事項に関する審議・議決機関として副総長を委員長とする東北大学保健審議会(東北大学保健審議会規定、昭和44年6月規第43号)が設置されている。また、運営機構としては需要事案を審議するための学内の関係部局から選出された委員による東北大学保健管理センター運営委員会(東北大学保健管理センター規定(昭和44年7月規第57号)運営組織、運営に関する規定は東北大学保健審議会規定、昭和44年6月規第43号)が組織されている。
 本センターの構成メンバーは平成15年度現在 専任の教授 助教授各1の他、医学部、歯学部及び大学病院と併任する助教授2名、助手8名、非常勤医師14名、専門職員1名、栄養士1名、薬剤師1名、診療放射線技師1名、臨床検査技師1名、看護師5名からなっている。基本的構成メンバーは保健管理センター創立以来変わっていないが、人員削減のあおりを受け、事務官や看護師が創立当初より減少している。
 平成16年4月より国立大学法人化に伴い、益々本センターの役割が重要となる。本センターの役割は学生の疾病を的確に把握・対処し、その予防対策を講ずること。そして、健康保持増進を図り、心身ともに健康な人的資源を社会に送り健康な社会の創設に寄与することである。「法人化後」には大学間の競争が余儀なくされる。少子化と大学への進学率の増加とが相俟って、学生のレベルの低下が問題になっているが、優秀な学生を出来るだけ多く本学にリクルートするためには、本学独自のカラーを出さねばならない。QOLの高いキャンパスライフにするためには本センターをはじめとする厚生施設等学生支援体制の充実が不可欠である。本センターの今後の活動が期待される。

第3章 保健管理センター(昭和45年~)の歩み

初代所長・島内武文医学部教授(病院管理学講座、昭和45年4月~昭和50年3月まで)。
佐賀県出身。東京帝国大学医学部医学科卒業。東大附属病院、国立東京第一病院、厚生省医務局、同病院管理研究所、米国カリフォルニア大学をへて昭和28年4月より本学医学部教授として赴任し、病院管理学を担当した。所長に就任する以前から運営委員として当センターの業務内容や解決されるべき課題に精通していた経緯もあり、新たな組織の立ち上げに大きなリーダーシップを発揮した。特に初代所長としてセンターの組織や業務を規定する東北大学保健管理センター規定の策定、センターの教官専攻や勤務動態に関するルール作り及び基盤づくりに尽力した。
 島内教授の在任中には、精神衛生相談室担当医として石井 厚(昭和39年4月~昭和47年3月)、大平常元(昭和47年4月~昭和55年3月)の各講師が着任し、片平分室には中村省三(昭和41年4月~昭和50年7月)、川内地区分室長には後藤由夫(昭和44年7月~昭和45年11月)、福地總逸(昭和46年12月~昭和49年12月)、大柴三郎(昭和50年1月~昭和50年12月)の各助教授がそれぞれ就任した。

第2代所長・中村省三教授(旧第一内科出身、昭和50年8月~昭和60年12月)。
東京都出身。昭和24年東北大学医学部卒業。昭和41年より前身の学生健康相談所所長を務めていたが、昭和50年度から当センターに専任の教授定員1名が認可されることになり、初の専任教授として中村 省三助教授(内科学)が昇任し、同時にセンター所長に就任した。中村教授は内科学の中でも肝臓病及び肝循環に関する分野を専門としており、本学学生を対象とした肝疾患に関する検診システムを企画・立案し、HBs抗原や抗体の検査、抗原保有者の津赤調査や健康指導等を積極的に推進するなど健診業務の拡充と体系化を推進した。また、放射線や有機溶剤を取り扱う学生を対象とした特別健診、外国人留学生を対象とした特別健診の創設など時代の要請を先取りした新しい制度を確立し、従来の学生検診の域を越えた保健管理の体制を築いた。昭和51年10月には本学が主幹校となり、全国の国公私立大学の保健施設関係者を会員とする学術集会である第14回全国大学保健管理研究集会を開催し、成功を収めるなど我が国に於ける大学保健管理活動の発展に寄与した。昭和60年12月突然の病で急逝された(享年62歳)。教授のライフワークであった肝臓病の研究のうち肝循環に関する研究業績は遺稿とともに単行本「肝循環」(日本医学館)から平成3年に出版された。
 中村教授の在任中、昭和55年度にはセンター教官定員として講師が助教授に振り替わり、宮腰 孝医学部講師(精神医学)が着任した(昭和55年4月~昭和59年3月)。宮腰助教授が宮城教育大学に転出した後には福田一彦医学部講師(精神医学、昭和59年4月~平成8年?月)が就任した。また、片平地区分室長には高世幸弘(昭和51年4月~昭和56年3月)、大泉耕太郎(昭和56年4月~平成2年4月)、川内地区分室長には大久保隆男(昭和52年3月~昭和58年10月)、阿部圭志(昭和58年10月~昭和60年5月)、浅木 茂(昭和60年6月~平成2年5月)の各助教授がそれぞれ就任した。

第3代所長・大根田 昭教授(旧第3内科出身、昭和61年3月~平成6年3月)。
栃木県出身。昭和35年東北大学大学院医学研究科卒業。大根田教授は糖尿病に関する我が国のリーダーの一人であり、昭和36年には学位論文「実験的糖尿病に於ける下垂体副腎系に関する研究」に対し、昭和55年には「グルカゴン免疫反応物質の分泌調節とその病態生理的意義に関する研究」に対してそれぞれ医学部奨学賞銀賞、金賞が授与された。大根田教授の学問に対する熱意と意欲は停年退官までいささかも衰えず、多くの原著論文を発表した。この間、昭和41年7月から2年間米国テキサス大学医学部に留学し、その時の研究論文「Characterization of gut glucagons」が高く評価され、Harrison賞を受賞した。
 大根田教授は大学に於ける組織運営についても高い見識をもち、保健管理センターが単なる厚生施設としてだけではなく研究教育機関としての役割を担えるようにその体制作りに努めた。平成5年からは全学教育科目での健康科学の開講、および東北大学として初めて創設された独立大学院情報科学研究科の協力講座・病態生理情報学を担当するなど、本センターの平成の大改革にあたった。保健管理センターの片平地区から川内地区への新築移転計画の実現に奔走し、現在の保健管理センターの進路を敷いた。
 大根田教授の在任中には、福田一彦助教授がセンター副所長として精神保健を担当(平成9年3月まで)し、片平分室長は大泉助教授から小岩喜郎助教授(平成2年5月~)川内分室長は浅木助教授から佐々木毅(平成2年6月~平成5年11月)、佐藤 研(平成6年1月~平成11年6月)の両助教授に引き継がれた。

第4代所長・三浦幸雄教授(旧内科学第二講座出身、平成6年4月~平成13年3月)。
岩手県出身。昭和45年東北大学大学院医学研究科を卒業。三浦教授は高血圧の病態生理、循環調節とカテコールアミンに関する研究に従事し、平成5年1月には「本態性高血圧症における交感神経系の病態生理学的意義」で医学部奨学賞金賞が授与された。この間昭和46年より2年間米国南カルフォルニア大学内科部門に留学した。
 三浦教授は卓越した指導力を発揮し、全国の大学に先駆けて学生に肥満や高血圧などの生活習慣病およびその予備軍が多いことを指摘し、また学内の全学生に対する結核健診体制を確立されるなど学生の保健管理業務の充実をはかった。さらに学外においては社団法人全国大学保健管理協会の理事や国立大学保健管理施設協議会の副会長として、わが国の大学における健康管理活動を意欲的にリードした。三浦教授の就任間もなくの平成6年6月には保健管理センター新築落成とともに保健管理センター創立25周年記念式典が西澤潤一総長、文部省より北村幸久高等教育局学生課長など関係者を迎え松下会館で開催された。
 三浦教授の在任中、平成6年4月より片平分室長であった小岩助教授は健康診断班長として、また川内分室長であった佐藤 研助教授は健康相談班長(平成11年6月まで)として新たなスタートを切った。副所長であった福田一彦助教授の後任として野城孝夫医学部附属病院助手(旧第3内科、平成10年4月~平成12年3月)が赴任した。また、平成12年1月より佐藤 研助教授の後任として齋藤 秀光国立療養所南花巻病院臨床研究部長が赴任した(平成16年3月まで)。

第5代所長・飛田 渉教授(旧内科学第一講座、平成13年4月現在)。
福島県出身。飛田教授は内科呼吸器病学を専門とし、特に慢性閉塞性肺疾患や気管支喘息の病態、呼吸不全の病態及び睡眠時無呼吸症候群の病態に関する研究を行い、平成3年には「上気道開存性を規定する因子に関する研究」で国際胸部医学会日本支部賞を、平成5年には「オトガイ下電気刺激法による睡眠時無呼吸症候群の治療法に関する研究」にて日本胸部疾患学会熊谷賞を受賞した。また、現在臨床で汎用されている気道過敏生検査装置(アストグラフ)や簡易睡眠時呼吸モニター装置(アプノモニター)の開発に多大な貢献をした。この間昭和54年9月から2年間米国ヴァージニアメイソン研究所(シアトル)に留学、呼吸生理学について研鑽を積んだ。
 本センター就任後、学生のライフスタイルの異常と健康障害に関する研究を初めとして学生の健康管理活動のみならず、国立大学法人化に向けての保健管理センターの在り方など将来に向けた課題にも精力的に取り組んでいる。
 飛田教授が就任して間もなく、野城助教授の後任として平成13年8月大原秀一医学部附属病院講師(旧第三内科)が昇任すると同時に当センター副所長に就任した。
 平成16年4月からは医学部保健学科に昇任した齋藤秀光助教授の後任として山崎尚人こだまホスピタル副院長が助教授として着任し、学生の精神衛生を担当し、また平成21年4月から平成23年3月まで当センター副所長を担当した。その後平成23年4月からは木内喜孝准教授が副所長を担当した。

第6代所長・木内喜孝教授
秋田県出身。木内教授は消化器内科学を専門とし、特に下部消化管疾患(炎症性腸疾患:クローン病・潰瘍性大腸炎、大腸癌)に関する病因・病態解析や、診断・治療について研究を行っている。平成11~12年にオックスフォード大学消化器内科に留学し、炎症性腸疾患の感受性遺伝子研究について研鑽を積んだ。炎症性腸疾患は、主に15-30歳の年齢で発症し、30年間で患者数が25倍に増加し、大学生に最も多い特定疾患(難病)である。炎症性腸疾患になり易さを決める体質に関する研究を中心に活躍している。本センター就任後、炎症性腸疾患研究・診療で培った経験を学生保健に応用し、学生生活の支援について精力的に取り組んでいる。

第4章 全学教育と大学院教育との関わり

 平成5年4月より教養部廃止とともに学部一貫教育を理念として全学教育が開始された。保健体育は実技科目と講義科目からなり、講義科目は身体の文化と科学(実技関係の講義)、心身医学と行動医学及び健康科学科目の3枠でスタートした。いずれも全学部対象とした選択科目であり、保健管理センターの教官は健康科学科目(2単位)を担当した。全学教育開始7年後の平成11年7月には全学教育の見直しと改革のため、全学教育改革検討委員会プロジェクトチームが結成された。保健体育関係では保健体育検討プロジェクトチームが結成され、それまでの保健体育科目について検討された。ここでの検討にて、健康科学の重要性が確認され、入学後の全学部の学生が履修できる体制をつくる必要性が提唱された。これに基づき、講義科目の健康科学を再編し、これまでの2クラスから平成14年度より8クラスに増やして開講することになった。8クラスの構成部局は医学部、歯学部、それぞれの附属病院、研究所等の講座から構成され、グルーピングされた。本センターは健康科学(IIV)のクラス責任を担当した。
 一方、大学院学生の博士課程前期・後期に学ぶ陰性の教育・研究にも直接関与することとなった。平成5年には東北大学としてはじめて独立大学院情報科学研究科が創設されたのを機に、当センターは協力講座として病態生理情報学を担当した。平成13年4月には大学院医学系研究科にも病態生理情報学分野として協力分野として認められた。情報科学研究科は平成15年度に10周年を迎え、それを機に新専攻「応用情報学専攻」が新設され、病態生理情報学講座は新専攻に組み込まれることになった。講座名も「健康情報学講座」と変更され、新たなスタートを切ることになった。学生の健康管理を担っている本センターが担当する講座名としては極めてマッチングしており、今後その教育及び研究機能の充実が期待される。

東北大学保健管理センター沿革の年表
昭和4年1月 学生課に大学健康相談部開設
昭和5年9月 学生診療所設置(内科、外科の2診療科)
昭和7年4月 学生診療所で歯科診療科開始
昭和12年11月 学生保健診療所に改称
昭和37年3月 学生健康相談所に改称
昭和39年4月 川内地区に分室設置
昭和44年7月 保健管理センター設置(国立学校設置法施行規則第29条の3)
工学部保健室および農学部保健室設置
昭和45年4月 医学部・歯学部保健室設置
平成5年4月 大学院情報科学研究科が設置され、病態生理情報学講座(協力講座)を担当することとなった。
大学院授業科目として、調節制御情報論・精神行動情報論を開講。
全学教育・保健体育授業科目として、健康科学を開講。
平成6年3月 保健管理センター川内北キャンパスに新築移転
平成6年4月 工学部保健室廃止
平成6年6月 保健管理センター新築落成記念式典および保健管理センター創立25周年記念式典挙行
平成13年8月 大学院医学系研究科病態生理情報学分野を担当
平成15年4月 大学院情報科学研究科改組に伴い、病態生理情報学が健康情報学に改名
大学院授業科目として、調節制御情報論・精神行動情報論からなる健康情報学を開講
平成16年4月 国立大学法人化/工学部保健室設置/保健管理センターに産業医として3名配属
平成16年10月 高等教育開発推進センター設置に伴い教員の組織換え(産業医を除く)
平成18年10月 高等教育開発推進センターに産業医を含む教職員の組織換え
平成22年4月 産業医は、保健管理センターより環境安全推進センターの労働安全安全衛生室に配置換え
平成26年4月 高度教養教育・学生支援機構設置に伴い教職員の組織換え

資料
◎東北大学50年史
◎東北大学保健管理センター年報(昭和61年より毎年発刊)